単に宿泊するだけではなく、「自分らしく暮らすように滞在できる」――それが、東急リゾーツ&ステイ株式会社が展開する「東急ステイ」が目指すホテルだ。1993年に1店舗目が開業したこのホテルブランドは、28店舗目として「東急ステイ飛騨高山 結(むすび)の湯」が2020年4月に開業した。東急ステイは従来、都心を中心に都市部に展開してきたが、この新しい大型ホテルは、言わば観光型の“新・東急ステイ”。「旅人と飛騨高山がつながるホテル」をコンセプトとし、「工房プロジェクト」と題して飛騨地区の伝統工芸をふんだんに取り入れており、飛騨地域の魅力に直接触れることができるのが特徴だ。厳しくも豊かな飛騨の自然の中、人々の暮らしとともにはぐくまれた伝統工芸は、自然の素材を活かした先人の知恵と工夫に満ちている。伝統工芸を大切にすることは豊かな自然を大切にすることにもつながっている。
高山らしさ取り入れた建物 景観デザイン賞受賞
「東急ステイ飛騨高山 結の湯」は、岐阜県高山市のJR高山駅東口を出て右側すぐのところにある。1、2階は高山らしさを感じさせる黒い木材や庇がデザインされ、上層階は落ち着いた色味で統一されている。全体として高山駅前に華やぎをもたらしつつ、伝統的な街並みや周辺の自然景観とよく調和した建物だ。こうした建物自体が、「優美さと繊細さを兼ね備え、駅周辺地区にふさわしい美しい景観を創出している」(高山市都市政策部建築住宅課)と高く評価され、令和2年度高山市景観デザイン賞で建築物の部優秀賞を受賞した。
1階のエントランスに入ると、目に飛び込んでくるのが、巨大な囲炉裏を思わせるラウンジの大きなテーブル。上からつられた組紐は、光に照らされて炎が揺らいでいるかのように見える。そして周りを見渡すと、木工が盛んな飛騨を象徴するような、大小のたくさんの格子が組まれている。この格子には、「飛騨春慶」という漆塗りの赤がアクセントに使われ、伝統を感じさせながらも親しみやすい雰囲気を作り出している。
「この飛騨地域は、観光地としては必ずしもアクセスのよい場所ではありません。しかし、地域が発展しなくてはホテルとしても成り立ちにくい。まず、観光客に飛騨地域に来てもらう工夫をしなくてはいけない、と考えました。そこで、何をすれば地域に貢献できるのか、飛騨高山地域をフィールドワークするところから始めました」と東急不動産ウェルネス事業ユニットホテル・リゾート開発企画本部の古澤友香さんは語る。
ハードとしての建物だけでなく、運営などのソフト面にも地域の特徴を活かしたい。そのためには、この地域で活動している人をパートナーとし、連携・協力していかなくてはいけない。そんなときに出会ったのが、デジタル技術を使ってプロダクトからインテリア、空間デザインまで一貫したデザインを行う平本知樹さん、高山市で建築設計事務所を営んでいる淺野翼さんだった。ホテル開業2年前の2018年4月から平本さん、淺野さんが中心になって、飛騨地域の魅力について約半年間にわたって調査した。すると「飛騨地域は、歴史と風土に根ざしたさまざまな伝統工芸があり、人々の暮らしの中に息づいていることに気づきました」(古澤さん)。
淺野さんは高山市出身で、名古屋市内の設計事務所などに勤務。2013年、退職後の放浪の旅で訪れた宮城県気仙沼市で、東日本大震災後の復興に尽力する人々と出会い、キャンドル工房の設計や内装工事を手伝った。「人が集まり、皆で協力しながら場をつくり上げることで、その空間は成長していくということを感じました」と淺野さんは話す。2014年に郷里に戻って淺野翼建築設計室を設立。飛騨の木材を活用した住宅や店舗の設計、イベント企画などを行ってきた。そして気仙沼の経験から、地域の人がつながるための場所を作ろうと、2015年に飛騨地方初のコワーキングスペース「co-ba hida takayama」を立ち上げた。
「訪れてくれた旅人にとって、飛騨での体験がより深いものとなるために、地域の工芸をホテルの随所に取り入れようと考えました」と淺野さん。30を超える飛騨地域の工芸や工房をリストアップし、それぞれの特徴や職人の人となりについて報告書にまとめ、ホテルという場所における工芸の展開方法について提案した。「各階のギャラリーでは、その工芸がもつ特徴的な魅力を抜き出し、最大化することを試みました。説明に終始するような展示ではなく、その工芸や素材が持つ魅力そのものに直接触れられるような『椅子』をデザインしたんです。また、チェックインからチェックアウトまでの流れの中に、様々な工芸に触れるタッチポイントを設けました。その結果として、飛騨への愛着を深めてもらうことを目指しました」
触れて実感 伝統工芸の魅力
「工房プロジェクト」では、まずホテルの3~8階の各階エレベーターホール近くにギャラリースペースを設けた。そこでは、「飛騨木工」(3階)、「飛騨牛革」(4階)、「飛騨さしこ」(5階)、「飛騨春慶(漆塗り)」(6階)、「渋草焼(陶磁器)」(7階)、「山中和紙」(8階)がそれぞれ紹介されている。
「東急ステイ飛騨高山 結の湯」の藤田憲治支配人は、「スタッフが胸に付けているバッジは渋草焼で、オイルが徐々に揮発することで香る釉薬が使われています。この香りも、飛騨の木から抽出されたアロマオイルです。部屋に入ってテレビを付けると、伝統工芸を紹介する動画が流れてきます。ホテルに入るとすぐに、工芸にまつわるストーリーが始まるのです」と語る。このほか、客室の椅子や館内のピクトグラムは飛騨木工、客室にあるテレビのリモコンを置くトレイは飛騨牛革、客室のアートワークは飛騨さしこ、館内の格子や客室のアラーム時計は飛騨春慶、エレベーターホールのアートワークは渋草焼、1階フロントや、4、6、8階客室の照明、各部屋のインフォメーションブックには山中和紙が使われている。
飛騨木工の工房として選ばれたのは、高山市清見町に本社を置く「オークヴィレッジ」。「全国どこでも同じようなホテルがある中で、この東急ステイは、地域にねざし、その伝統工芸の魅力を伝えることをコンセプトにしている、というところが新鮮でした」とオークヴィレッジ管理部部長の服部修さんは語る。オークヴィレッジが大切にしているのは地域の素材。そして樹種の特性をよく見極めて、長く使えるモノを作ること。「工芸品は使われて初めて活かされる。博物館に展示されるのでなく、ホテル内のあちこちに工芸品がちりばめられています。説明がなくても、自然と手に取ったり、座ったりして、使われています。それは作り手としてとてもうれしいこと。こうして地域の工芸品を発信していただくのは非常にありがたい。実際に、ホテルで家具に触れて、私たちを訪ねてきてくれる方もいらっしゃいます」と話している。
藤田支配人は、「当ホテルでは、お客さまが見て、触れて、座って、さまざまな工芸品に直に接することができます。各階のギャラリーに、各工房の紹介があります。気に入ったら、1階のショップでお土産品として買うこともできますし、宿泊したお客さまから、『工房を訪ねてみたい』という要望もたびたび寄せられています。このホテルに宿泊したことがきっかけとなり、地域の人とつながることができる。伝統工芸に目を向けてもらうことで、伝統工芸の継承・発展に少しでも寄与したい、と思っています。そうすることで、地域全体が活性化していくことにつながってほしい」と話している。
また、最上階の9階には、高山の街や飛騨の山並みを一望できる展望ラウンジや足湯のほか、別荘感覚で利用できる会員制リゾートホテル「東急ハーヴェストクラブ飛騨高山」が併設されている。
このホテルに泊まるだけで、飛騨高山のさまざまな工芸品に実際に触れることができる。見た目の美しさだけでなく、触感や使い勝手、丈夫さなど、工芸品にはそれぞれが持つ独特の利点がある。ただ伝統を継承するだけでなく、今の暮らしに合わせて変化もしている。このホテルに泊まることによって、工芸品の新たな魅力を発見することができ、使ってみたいと思わせられる。それは藤田支配人が語ったように、伝統工芸の活性化、ひいては地域の活性化にもつながるに違いない。そして、工芸品の多くは、自然の素材から作られ、長い歴史の中で人々に使い込まれてきた。伝統工芸品そのものがサステナブルな日用品だと言えよう。それはSDGsの理念が目指すものと共通している、と感じた。
ホテル内で紹介されている伝統工芸
【飛騨木工】
古くから神社仏閣の造営などで高い技術を発揮してきたのが、「飛騨の匠」と呼ばれる職人たち。その文化は現代へと受け継がれ、木工産業を生み出した。1974年開業の「オークヴィレッジ」(高山市清見町)は、「100年かかって育った木は、100年使えるものに」を理念に掲げ、家具だけでなく玩具など暮らしの小物から木造建築までさまざまな木製品を送り出している。
【飛騨牛革】
岐阜県のブランド牛として広く知られる「飛騨牛」。その飛騨牛の皮を使って、レザープロダクトを作る職人がいる。高山市岡本町にある「HIDA
Calf」は、飛騨牛革を使ったランドセルで一躍有名になった革工房。繊維がきめ細かく、しなやかで丈夫な国産牛革の中でも飛騨牛の皮は油脂成分を多く含むため、製品化したときに艶や濃淡を活かしやすいという。
【飛騨さしこ】
刺し子は、日本の伝統的手芸の一つで、布地に糸で幾何学模様を縫い込む技法。布を長持ちさせるために糸を刺し、布地がすり切れたら当て布をして糸を刺す。飛騨さしこでは裏地で玉止めはせず、針目に合わせた「重ね縫い」をして糸を止める。この独特な技法で裏の模様も美しいのが特徴で、風呂敷やのれんのような一枚布の作品で美しさが際立つ。
【飛騨春慶】
「春慶塗り」とは、透明度の高い漆を塗り、木目を見せる技法のこと。飛騨では江戸時代初期にこの技法が完成し、現代まで受け継がれてきた。「一度塗り」が原則で、木目の美しさを見せる。使っているうちに、しだいにつややかになり、木目がさらに美しくなってくるという。
【渋草焼】
渋草焼の始まりは江戸時代末期の天保年間。尾張(現・愛知県)から陶工、加賀九谷(現・石川県)から絵師を招いて、半官半民の窯としてスタートした。180年に及ぶ七代渋草柳造(高山市新宮町)の家訓は、「伝承は衰退、伝統は革新の連続」。アート作品や、アパレルブランドとのコラボレーション作品など、陶磁器の革新に挑んでいる。
【山中和紙】
山中和紙は、飛騨の山中にある、飛騨市河合町で800年にわたって伝承されてきた。楮(こうぞ)を蒸して皮をはぐ「楮はぎ」、干した皮から表皮をさらに削る「楮たくり」、雪の上で太陽光にさらして漂白する「雪さらし」、和紙を成形する「紙漉き」の工程に分けられる。飛騨の原料だけで作る山中和紙は、大変丈夫で張りがある。一度墨が染みこめば、井戸の中に入れても消えることがないという。