東急不動産ホールディングスが行う環境取り組みを詳しくご紹介
GREEN PIONEER NEWS

100年前から環境先進
東急不動産ホールディングスグループの挑戦の歴史

  • # 環境問題への挑戦
田園調布の街並み

田園調布の街並み

「WE ARE GREEN」を掲げる東急不動産ホールディングスグループ。不動産開発など単なる“ハコ”や“モノ”を提供するだけにとどまらず、枠にはまらない発想で果敢に挑戦してきた。創業以来、緑を街作りの大きな要素として重視し、環境問題に先進的に取り組み続けている。

原点は100年前。渋沢栄一が手掛けた田園調布

東京都大田区の田園調布は、東京を代表する高級住宅街だ。東急電鉄・田園調布駅西側は、放射線状及び同心円状に延びる道路によってゾーニングされ、住宅が扇形状に整然と並ぶ。その街並みの美しさに、誰もが魅了されることだろう。この田園調布の分譲が開始されたのはなんと、今から約100年前の1923年のことだ。それまで職住近接が当たり前だった住宅の考え方を一新し、都心の職場から離れた環境の良い郊外に、都市機能と豊かな庭園が共存する理想の街を創造する。日本資本主義の父・渋沢栄一が中心となって1918年に発足した「田園都市株式会社」が、この新しい街づくりを手掛けたのだ。なんと斬新なことか、今でも驚かされる大事業だったと言える。

東急不動産ホールディングスグループの始まりは1953年。東京急行電鉄の不動産部門が分離独立して東急不動産が発足した。だが、その原点は、この田園都市株式会社にある。

今から約100年前、日本は、明治維新後の近代化で、欧米列強に近づこうと大きく飛躍していた。だが、その急速な近代化によるひずみもまた、大きくなっていた。すでに江戸時代から世界有数の大都市だった首都・東京では、人口過密による住宅の供給不足などが深刻化していた。その社会問題に、高い理想を掲げて取り組んだのが、田園都市株式会社だった。

農地や雑木林が広がっていた多摩川台地が切り開かれ、欧米で生まれた「田園都市構想」をベースにした、斬新で美しい郊外型住宅都市が新たに生まれた。開発計画当時は「先進的過ぎる」との声もあったというが、いざ販売開始されると、大反響が巻き起こった。特に大きな関心を抱いたのが、大学教授、医師といったインテリ層や、当時新たに出現した中流階層(ホワイトカラー)で、環境の良い郊外に住むという新しい生活スタイルに多くの人々が憧れた。この田園都市構想に基づく街づくりは、次第に全国へと広がり、現代日本における郊外型都市開発の礎(いしずえ)となった。

この田園都市株式会社が、1928年に目黒蒲田電鉄(1922年創業)と合併し、東京急行電鉄へと発展した。そしてその東京急行電鉄から分離独立して発足したのが東急不動産。先進的な取り組みの理念は受け継がれ、常識にとらわれない発想で人々のニーズに応え、常に新しい挑戦をしてきた。

田園調布の開発は、日本の資本主義の礎を築いた渋沢栄一が手掛けた

田園調布の開発は、日本の資本主義の礎を築いた渋沢栄一が手掛けた

田園調布の空撮

初代社長・五島昇、「環境と人間」を気遣う経営理念

東急不動産の発足時から25年間にわたって社長を務めたのが、東急グループの創始者・五島慶太(1882~1959年)の長男である五島昇(1916~1989年)だった。昇は、1954年にはグループの中心である東急電鉄の社長に就任、その後、日本経済界のリーダーの一人として日本商工会議所会頭や郵政審議会会長などを歴任した。

昇は、東急電鉄の社内報「清和」の中で次のような言葉を残している。「もっとこまやかな心づかいで、本当にその土地の人々のためになる仕事をやるのだ、ということを頭からよく認識して仕事を進めていただきたい」(1959年)、「安全な道だけを歩いていては、事業は後退を余儀なくされてしまうだろう」(1985年)。また、1974年の東急グループ入社式のあいさつでは「同じ失敗でも、むこうキズの失敗は決してとがめだてはしない」とも。常識や慣習にとらわれず、新しくて大胆な発想で事業に取り組みながらも、一緒に仕事をする人々への気遣いは忘れない。並外れた先見性と行動力、そして人間味のある親和力で東急グループを牽引した。

東急不動産の発足時から25年間にわたって社長を務めた五島昇(1916~1989年)

東急不動産の発足時から25年間にわたって社長を務めた五島昇(1916~1989年)

昇は1956年、日本の民間人として戦後初めてパラオを訪問し、自然の美しさや文化に感銘を受けて、南洋での事業を決意した。その後、1984年にリゾートホテル「パラオ・パシフィック・リゾート」が開業した。1982年に建設予定地を視察した際には、当時、担当常務だった安芸哲郎(後の社長)に対し、「ヤシの木より高い建物は建てるなよ」と語ったという。開発を手掛けても目先の利益ばかりを追求しようとはしない。地域の人々や環境に十分配慮することが、結果として大きなプラスになる、という信念がここにある。

1984年に開業したリゾートホテル「パラオ・パシフィック・リゾート」

1984年に開業したリゾートホテル「パラオ・パシフィック・リゾート」

環境ビジョンの下、新たな挑戦へ

田園都市株式会社の先進性と初代社長・五島昇の精神は、今も東急不動産ホールディングスグループ(2013年のグループ再編で、持ち株会社として東急不動産ホールディングス株式会社が設立)に引き継がれている。特に環境分野では、不動産業界だけでなく、日本の企業の中でも先進的、挑戦的な取り組みが目立っている。

東急不動産は1995年に「環境ビジョン」の基本理念を策定(2011年に改訂、2015年に東急不動産ホールディングスとして再改定)、環境を重視する姿勢を打ち出した。その環境理念は、「私たちは、都市と自然、人と未来をつなぐ価値を創造します」とし、環境方針として「私たちは、事業を通して環境と経済の調和に取り組みます」、環境行動として「私たちは、3つの視点で5つの課題に取り組みます」と宣言している。

「3つの視点」とは、「目標を開示して実行します」「先進的な取り組みに挑戦します」「社会の皆さまと協働して取り組みます」というもの。そして「5つの環境課題」として「気候変動」「生物多様性」「汚染と資源」「水使用」「サプライチェーン」を挙げている。

2011年から東急不動産グループでは、マンション購入をはじめ、オフィス・リゾート施設の利用商品の購入など、顧客の利用に応じて、森林を保全する「緑をつなぐプロジェクト」を行っている。森林から産出された木材は事業で活用し、再び顧客へ提供するという循環型サイクルを形成しており、東急不動産ホールディングスグループに引き継がれている。

環境ビジョン 3つの視点と5つの環境課題

東急不動産ホールディングスの「環境ビジョン」

おもはらの森

おもはらの森

2012年に東京・原宿エリアに開業した「東急プラザ表参道原宿」の屋上テラス「おもはらの森」。それまでに無かったようなスケールの大きな屋上緑化施設だ。開放的なすり鉢状の広場に、欅(けやき)や桂(かつら)など数多くの樹木が植えられ、都会の中とは思えない自然の豊かさを感じられる。訪れる人に安らぎを与えるだけでなく、「生物多様性」形成の一環として、明治神宮の森や周辺の欅並木と連携した緑地帯「グリーンネットワーク」を作るのも狙いの一つ。鳥の水飲み場を設けるなど、さまざまな生物が住みやすい環境にしており、日本鳥類保護連盟の「バードピア」にも登録している。

東急プラザ表参道原宿

東急プラザ表参道原宿

地球温暖化防止へ日本企業の“トップランナー”に

国内外の環境保護への動きにも、東急不動産ホールディングスは積極的に対応している。
先進国において環境問題は1980年代まで工業化にともなう有害物質の排出、つまり公害だった。だが、80年代後半以降、地球温暖化が問題視されるようになった。そして1992年に国連気候変動枠組条約が採択され、温室効果ガス対策に取り組むことが合意された。

この条約に基づいて温室効果ガス削減への取り組みが決められたのが1997年の京都議定書と2015年のパリ協定だ。京都議定書では、合意しなかったアメリカを除く先進国を対象に、二酸化炭素、メタンなど6種類の温室効果ガスの削減が決められた。パリ協定はさらに踏み込み、先進国だけでなく途上国を含むすべての国が対象となった。

こうした世界的な動きを背景に、2015年に設立された国際的な組織の一つが「TCFD」(気候関連財務情報開示タスクフォース)で、企業の気候変動への取り組みを具体的に開示することを推奨している。東急不動産ホールディングスは2019年に業界で初めてこれに賛同した。気候変動対策に積極的に取り組む日本の企業や団体などが情報公開や意見交換などを行う「気候変動イニシアチブ」(2018年設立)にも参加している。

また、企業活動で必要なエネルギーを100%再生可能エネルギーでまかなうことを目標とする国際的イニシアチブ「RE100」にも国内の不動産会社として初めて参加した。「RE100」では、その目標達成期限を2050年まで、としているが、東急不動産はこの目標達成時期を2022年と大幅に前倒しした。これぞ環境面において日本最先端であることの証しだと言えよう。後続の企業や団体に、環境対策のお手本を示した形となっている。

温暖化防止京都会議の開催を伝える報道(1997年12月1日読売新聞朝刊)

温暖化防止京都会議の開催を伝える報道(1997年12月1日読売新聞朝刊)

創業以来の先進的な遺伝子、次世代へ脈々と継承

2010年入社の菱田佳奈さん(東急不動産ホールディングス株式会社グループサステナビリティ推進部企画推進室課長補佐)は、東急不動産ホールディングスグループの環境取組みと街づくりについて、「東急不動産はこれまでも田園都市開発にみられるような緑を取り込んだ街づくりを大切にしてきました。『ここだからできる』『ここでしかできない』というその地域の良さを継承しつつ新たな価値創造に挑戦することが、遺伝子として受け継がれています。一つ一つの建物単発ではなく、どんどんつながって文化みたいなものが形成される。目の前のお客様にどのような価値提供ができるかを想像し創り上げていく…そのような街づくりが、他のデベロッパーと違うところだと思います」と笑顔で語る。

また、菱田さんと同じ部署で2015年入社の平井健一さんは「今の時代、環境取組をするのは当たり前で、いかにビジネスの中でこれを実行できるかが重要です。当社が手掛ける再生可能エネルギー事業はその一例です。当社は長年、ただ施設を作るだけでなく、いかに地域とともにまちづくりを行うか?に真摯に向き合い続けてきました。ここで得た強みは再生可能エネルギー事業にも活かされています。私たちは、再生可能エネルギーと街づくりという、二つの強みを掛け合わせたグリーンな街作りに挑戦し続けて行きます。」と力を込めて語った。

パイオニアとして「環境」を最重要課題にし、挑戦的とも言えるプロジェクトを次々と展開している東急不動産ホールディングスグループ。創業以来の果敢な挑戦と環境分野での先進性は、次世代を担う社員たちにも脈々と受け継がれている。

東急不動産ホールディングス株式会社グループサステナビリティ推進部企画推進室の菱田佳奈さん(2010年入社)と平井健一さん(2015年入社)

東急不動産ホールディングス株式会社グループサステナビリティ推進部企画推進室の菱田佳奈さん(2010年入社)と平井健一さん(2015年入社)

取材にご協力いただいた皆様

  • 菱田 佳奈
    東急不動産ホールディングス株式会社
    サスティナビリティ推進部
    企画推進室 課長補佐
    菱田 佳奈
  • 平井 健一
    東急不動産ホールディングス株式会社
    サスティナビリティ推進部
    企画推進室 主任
    平井 健一